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札幌地方裁判所小樽支部 昭和43年(ワ)275号 判決

主文

1  被告両名は連帯して原告石黒フミに対し二、三一九、五一八円、同石黒知子、同石黒公子、同石黒節子、同石黒光子、同石黒清子、同石黒修一に対しそれぞれ九三九、八三九円並びに右各金員に対する昭和四二年二月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

4  この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、申立

原告らは「被告両名は連帯して、原告石黒フミ(以下単に原告フミということとし、その余の各原告についてもこれに準じて表示する。)に対し、二、五〇三、六六七円、同知子、同公子、同節子、同光子、同清子、同修一に対し、それぞれ一、〇〇一、二二一円並びに右各金員に対する昭和四二年二月一〇日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、

被告らはいずれも「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の請求原因

一、事故の発生

昭和四二年二月九日午後一時四六分頃、訴外田中信光が積荷待機のため小樽市堺町一二五番地第一埠頭基部小樽倉庫株式会社第三倉庫前路上に被告旭川トラツク株式会社(以下被告会社という。)所有の普通貨物自動車(旭一い八〇七)を右埠頭突端部に向つて停車させていたところ、被告日本国有鉄道(以下被告国鉄という。)の六両連結の入換作業貨車が右道路の埠頭基部より突端部に向つて右側に敷設した線路上を突端部に向つて進行してきて、その第二両目が右貨物自動車と接触衝突し、これを数米引きずつた後貨車は脱線して停止した。ところが右貨物自動車は貨車に引きずられた勢でその前方路上に駐車して積荷作業中の貨物自動車(被告会社所有旭一い一〇二九)に追突しこれを前方に強く弾じき出したため、右貨物自動車(旭一い一〇二九)の左横で積荷作業中の訴外石黒吉郎がこれに突き飛ばされてその場に転倒した。前記貨物自動車(旭一い八〇七)は右のように貨物自動車(旭一い一〇二九)に追突した後、その余勢で更に転倒中の右石黒吉郎に激突し、同人を即死させた。

二、被告らの責任

1  被告会社

訴外田中信光は被告会社の雇傭する運転手で、本件事故当時被告会社の積荷運搬の業務のため自動車を運行していたものであり、本件事故につき同人に次のような過失があつた。

イ 同人が貨物自動車(旭一い八〇七、以下単にトラツクという。)を停車せしめた道路は幅員四・二米のところ、埠頭突端部に向つて左側の倉庫際の一・二乃至一・四米が雪の積み上げにより占拠され有効幅員は三米に過ぎず、トラツクの幅は二・四九米であるから、右道路を埠頭突端部方向に進行する際は左側の倉庫際の積雪に接触させないようにつとめて道路の右側に寄つて運転せざるを得ないことは経験則上容易に認め得る。

ロ 田中がトラツクを停車させたのは線路とトラツク右側面の距離が七・八〇糎の位置であるから、トラツクの右タイヤが道路の右端一杯か、若干右側へ踏み出しており、少なくともトラツクの右側面が相当部分道路からはみ出していた。

ハ 即ち、トラツクを線路との間隔が極めて近接した状態で停車せしめたものであり、田中が停車するにあたり殊更トラツクを道路左側に寄せることをせず前記のとおり走行して来た状態の位置のまま停車させたものと認められ、それは同人が倉庫際積雪との接触によるトラツク運行の障害回避(自己の運転の便宜性)にのみ留意して貨車との接触の危険防止に格別意を用いることがなかつたためである(トラツクを直ぐ移転するという安易な考えに基因すると推測される。)。

ニ 又右路面の状況は積雪が凍結して滑り易い状態であるのに加えて線路に向けて四・五度の勾配があるところ、右道路幅一杯の幅員をもつトラツクを停車せしめた場合にはトラツクの右側の路面には殆ど空間余地がなく、線路との間に防護柵なども設置されていないから、空車であつたトラツクの状態自体により、又は国鉄引込線を通過する貨車の震動によつてトラツクが線路方向に滑り寄り、右引込線を通過する貨車と接触する危険が存在し、かつかかる危険を予見できるにも拘らず、自己の作業の便のみを考えて殊更狭隘かつ危険な右の道路に進入停止させ、トラツクの滑りを防止すべき措置も監視も怠つた結果本件事故を惹起せしめたものである。

したがつて被告会社は自動車損害賠償保障法三条又は民法七一五条により本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

2  被告国鉄

被告国鉄の貨車を本件の如き路面上の引込線路で運行せしむる場合には、運行上の危険を防止するため被告国鉄の操作員としては四囲の安全を確認し、かつ危険がある時は直ちに運行停止の処置をとるべき注意義務があるのにいずれもこれを怠り、本件トラツクが線路上を運行する貨車と接触衝突の危険ある状態で停車していたのに漫然と貨車を運行させかつ衝突後も直ちに貨車を停車させる処置をとらなかつた。

即ち、本件事故現場の線路は埠頭突端部に向つて右側にカーブしており、このため直線部分におけるよりも右線路付近のカーブ外側に沿つている本件現場付近の道路上の障害物と通過貨車との接触の危険が大きく、又当時路面が凍結して滑り易く線路方向に向つて傾斜しているため停車中のトラツクが通過貨車の震動により線路寄に滑り寄る危険性があり、元来夏でも見通しが悪いのに当時は積雪のため一層見通しが悪い状況にあつたところ、当時入換作業に従事していた国鉄職員で転てつ手である石山栄一は本件入換貨車が事故現場を通過する直前頃本件トラツクが線路に極めて近接し、事故現場の手前埠頭基部附近に設置してある線路防護柵の延長線上から線路の方へはみ出して停車しているのを認めて接触の危険を感じ、トラツクの運転手らに停車位置が妥当でない旨告げた程であるのに、自らは貨車の進行方向に向い左側線路上から片手を水平にあげてみてトラツクに触れないことを確認したのみで安全であると軽信し、危険防止のため即時トラツクの位置を変更せしめるか或は進行して来る貨車に停止を命じて事故の発生を未然に防止し得たのに拘らずこれを怠つた。又本件貨車には三人の添乗員が居たが全員進行方向に向つて右側に乗車していたもので、もしも左側に乗車しておれば前記のような接触の危険に気づき適切な措置が可能であつた筈である。

右は被告国鉄の職員の過失であり、同被告は民法七一五条一項の使用者としての責任がある。

3  本件事故は以上の両過失に因つて発生したものであるから、被告両名は民法七一九条により連帯してこれによる損害を賠償すべき責任がある。

三、原告らの受けた損害

原告フミは亡石黒吉郎の妻、その余の原告は子であるところ、本件事故により原告らは次のような損害を受けた。

1  財産上の損害

亡石黒吉郎は事故当時四四歳(大正一一年三月一〇日生)の健康な男子で小樽海陸運輸株式会社の常傭労務員として港湾労務に従事し、死亡当時給与として一日平均一、九七七円の収入を得、一ケ月平均二五日間稼働していた。

同人はなお二七・四九年間生存し(厚生大臣官房統計調査部作成第一一回生命表による。)、小樽地区の同種労務員の労務実態からみると、満六五歳まで少なくともなお二一年間稼働できた筈である。同人の一ケ年間の収入は五九三、一〇〇円、同人の一ケ年間の生活費は九六、〇〇〇円であるから、一ケ年間の純収入は四九七、一〇〇円であり、複式ホフマン式計算法により年五分の割合で中間利息を控除すると同人の今後二一年間に得べかりし純収入の現在価格は六、〇一〇、九九五円となり、同人は本件事故による死亡のためこれと同額の損害を受けたから、原告らはそれぞれの相続分に応じ原告フミはその三分の一の二、〇〇三、六六七円、その余の原告は九分の一の六六七、八八八円づつ右損害賠償請求権を承継取得した。

2  慰藉料

原告フミは昭和二一年から石黒吉郎と結婚生活に入り、昭和二二年三月二〇日原告知子を同二四年九月二三日同公子を、同二七年四月二八日同節子を、同三〇年九月二一日同光子を、同三一年一一月一一日同清子を、同三四年一一月一四日同修一を出産し、吉郎を中心に平和な家庭を営んでいたが、本件事故により今後女手一人でこれらの子を養育せねばならない状況におちいつたもので、その精神的苦痛は極めて大きい。又他の原告らも突如として父を失いその精神的苦痛ははかり知れないものがある。

原告らの右精神的苦痛に対する慰藉料としては原告フミに対し一〇〇万円、その余の各原告に対しそれぞれ五〇万円をもつて相当とする。

3  保険金の控除

原告らは本件事故後自動車損害賠償保障法による一五〇万円の保険金を受領したから、原告らの相続分に従い原告フミの前記損害額から五〇万円、その余の原告の損害額からそれぞれ一六六、六六七円づつ控除する。

四、よつて被告らに対し、原告フミは二、五〇三、六六七円、その余の原告らはそれぞれ一、〇〇一、二二一円及びこれらに対する本件事故の翌日である昭和四二年二月一〇日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告会社の答弁

一、請求原因一項の事実は認める。

二、同二項の1の事実中、訴外田中信光が被告会社の雇傭する運転者で事故当時被告会社の積荷運搬の業務のためトラツクを運行していたことは認めるがその余の事実は否認する。

本件事故はもつぱら被告国鉄の過失により発生したものであり、訴外田中信光及び被告会社には過失はなく、かつ被告会社の自動車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたので、被告会社には損害賠償の義務がない。

即ち、原告ら主張のとおり、田中がトラツクを停車せしめた道路は幅員四・二米のところ、埠頭突端部に向つて左側約一・二米は堆雪のため使用できない状態になつており、田中は道路左側の堆雪寄り一杯にトラツクを寄せてサイドブレーキをかけて駐車したのであり駐車方法としてこれ以上のことを期待できない。又本件では一度は貨車が無事通過しているのであり、駐車した当初から間隔が不十分であつたということにはならない。本件事故が発生した原因としては貨車が勢い余つて軌道をはずれた場合と、トラツクが滑走した場合の二つが一応考えられるが、仮りに原告ら主張のようにトラツクの滑走が原因であつたとしても、本件道路の勾配がわずかに四・五度であつたことや、田中が車内に居なかつたこと等から田中が滑走を予測することは不可能であつた。本件は田中の駐車方法よりむしろ、倉庫業者が道路の除雪を十分にしていなかつたこと、及び線路と道路との間に防護柵を設置していなかつたことこそ責められるべきである。

尚被告国鉄の過失については原告ら主張のとおりであるからこれを援用する。

同二の3の事実は否認する。

三、請求原因三項の事実中原告フミは亡石黒吉郎の妻、その余の各原告は同人の子であること及び原告らが保険金を受領した事実は認めるが、原告ら主張の損害額については争う。

第四、被告国鉄の答弁

一、請求原因一項の事実中、訴外田中信光が原告ら主張の日及び場所に本件トラツクを停車させていたところ、被告国鉄の入換作業貨車が線路上を進行してきて、その第二両目が右トラツクと接触衝突し、貨車は脱線して停止したこと及び訴外石黒吉郎が即死したことは認めるが、その余の事実は不知。尚、本件事故発生時刻は午後一時五七分頃であり、入換貨車は六両連結ではなく九両連結である。

二、同二項の2の事実は争う。

本件貨車には操車掛一名、構内作業掛二名が乗車し安全を確認しつつ進行しており、又本件トラツクは線路から一・五米以上離れて駐車していたもので、本件事故は入換貨車の先頭がトラツクの傍を通り過ぎた後、トラツクが突然移動して次位貨車に衝突したのであつて、被告国鉄の右の職員及び転てつ手の石山栄一の到底予見し得ないところであり、又事故発生後直ちに停止措置をとり一一・五米進行したのみで停止した。尚右側にのみ添乗員が乗車していたのは、機関士が右側に位置しているからで当然のことである。

同項の3の事実は否認する。

三、同三項の事実中原告フミが亡石黒吉郎の妻であること、および吉郎の事故当時原告ら主張の労務員であつたことは認めるがその余の事実は不知。

第五、証拠〔略〕

理由

一、原告ら主張の日時頃、主張の場所(以下「本件事故現場」という。)において田中信光が本件トラツクを停車させていたところ、被告国鉄の入替作業中の貨車が傍の軌道上を進行して来てその二両目の貨車と右トラツクとが接触衝突して右貨車が脱線したこと、その際石黒吉郎が右事故のため即死したことは各当事者間に争いがない。

二、そこで先づ本件事故発生の状況について判断する。

〔証拠略〕を綜合すると、次の事実を認めることができ、右証拠中次の認定に反する部分は採用しない。

1  本件事故現場は南東側を第一埠頭突端部から基部を経て築港に通ずる被告国鉄貨物引込線の軌道に、北西側を小樽倉庫南口にそれぞれ面した非舗装道路である。現場附近は軌道に平行して走る道路のうちで幅が一番狭く約四・二米であるが、当時は倉庫側に幅約一・二米乃至一・三米の堆雪があつて有効幅員は約三米に狭まり、その側端から約一・二米の地点に線路が敷設されている。しかも当時右路面は凍結し、倉庫側が軌道側より高く、その勾配は四・五度で視覚で覚知し得る程度の傾斜であつた。更に有効幅員の側端から線路までの約一・二米は一一度の勾配で線路側に低く傾斜していた。右現場附近は前記のとおり狭かつたので車の出入りに余裕をもたせるという意味もあり当時は防護柵も設置されていなかつたし、又右線路は本件事故現場附近において埠頭突端部に向つて右側にゆるくカーブしており(このため前示道路の幅員が本件事故現場附近において一番狭隘となつている)、附近には材木などが積まれ、冬期は勿論夏期でも見通しは困難な状況であつた。直線軌道上においては、本件入替作業中の発車の一両目は約〇・六五米、二両目は約〇・七六米線路外側にはみだすこととなる。

2  事故当日田中信光は午前五時半頃旭川市を出発して本件トラツクを運転し、途中岩見沢市で荷をおろし、新たに小樽市の小樽倉庫で積荷すべく同所に向かい、同日の午後〇時三〇分頃同倉庫前についた。同所には同じく被告会社のトラツクが一台すでに到着していたので田中は本件トラツクを右車の約一米位後方の本件事故現場附近の道路に停めたが、右駐車をするに際してはサイドブレーキをかけたほかは特段の措置をとらなかつた。本件トラツクは大型トラツクで幅二・四九米であり、線路とは約一・五〇米離れて停車していた。

3  前記軌道は被告国鉄の貨車引込線で通常一番線と呼ばれ、本件現場横から埠頭突端部方向約二〇米の地点に一〇三号転てつ器があり、そこを分岐点として線路が分かれ二番線と呼ばれる軌道が敷設されている。本件入替作業中の車両は九輛編成で当時一〇三号転てつ器の分岐点で入替えをして二番線に入るべく一番線で入替作業が進められ、時速七粁で埠頭突端部に向い後進していた。

そのため同貨車の最後尾の機関車に機関手と、操車係の中野勝義が、最前部と次の車には連結手が、それぞれ乗車し、中野は、前記軌道の転てつ器の地点で、線路の安全と開通を確認した上ポイントを切替え、安全の合図をすることを担当としている転てつ手の石山栄一からの合図を各連結手を中継して受けた上、機関手に運転を命じるという前頭誘導の方法によつて右入替作業をすゝめていた。ところで、本件トラツクが停車してから、本件脱線した貨車が入るまでの三〇分位の間二回貨車が通過し、その際はトラツクとの接触はなかつたものゝ貨車が通過する毎に路面は相当震動していた。

4  貨車が本件現場にさしかゝる直前小樽倉庫前で積荷作業をしていた須藤豊三は用を足すべく作業現場から離れて線路上に出たところ、本件トラツクと線路との間隔が狭いのを発見し危険ではないかと考え同所附近を前記路線の安全の確認をしポイント切替をすべく転てつ器の所に向つていた右石山に、「危ないから汽車を止めてくれ。運転手に車を動かさせる。」と声をかけたが同人は聞き落してしまつた。しかしながら同人は線路に近く駐車している本件トラツクを見つけ危険を感じたのでトラツクの横で立ち止り片手を水平に上げ指先がトラツクに触れるかどうかの所謂「接触限界確認」を行い確認したところ指先からトラツクまで約二〇糎離れていたため一応安全であると判断したが念のため現場で作業している者に「少しトラツクが寄つているから、次からは少し離して駐車するように。」との注意を与えた。しかしトラツクを直ぐ移動させるようにとの指示等はしないで前記転てつ器の所へ行き、ポイントを切替え進行して来た貨車の最前部の連結手に対し二番線への進入許容の合図をした。

5  石山の合図に基づいて貨車が進み本件現場附近にさしかゝり先頭貨車が通過した際、本件トラツクは線路の方に横すべりをし、その結果二両目の貨車の左前部とトラツクの右後部が接触衝突し、トラツクは引きづられてその前方で積み込み中の前記被告会社の他の一台のトラツクに追突し、その結果同車の倉庫側横で作業をしていた石黒吉郎にも本件トラツクを衝突させて、右トラツクと雪壁の間に転倒させて身体をはさみ同人を即死させた。

6  事件直後本件トラツクの後輪が横滑りした雪面上にタイヤの熱で表面の雪が融けてさらに凍結した痕跡があり、その幅は〇・二五米、長さは〇・七五米であり、従つて前記石山がいわゆる接触限界確認をした際すでに本件トラツクは最初の停車位置から線路寄りに少なくとも〇・七五米から後輪(二輪)のタイヤ幅を差引いた距離を横滑りしていたもので、その位置から先頭貨車通過の際の震動により更に線路寄りに横滑りしたものと推認される。

三、次に被告らが本件事故について損害賠償の責任があるか否かについて判断する。

1  被告会社

(一)  (田中信光の過失の有無)

本件現場は当時道路側端の堆雪のため有効幅員が約三米で幅員二・四九米の大型貨物自動車を乗り入れるには狭過ぎること、倉庫側から線路側へ向つての約四・五度の勾配は視覚で十分に覚知し得る程度のものであり、路面は積雪が凍結した状態であつたこと、本件トラツクは当日旭川市から小樽市へ来たもので長時間の運行によつてタイヤは熱を帯びるに至り、凍結した路面の雪が融けるおそれがあること、又極く近くに国鉄の引込線の軌道があり一日に何回かは貨車が通過しそれにより路面が震動することは前認定のとおりであり、これらの事由に加うるに線路と道路との間隔、貨車の幅員と軌道のカーブの状況等によれば、本件トラツクが勾配に従い低い方へ移動する虞がありひいては軌道を通過する貨車等と接触する危険があることはトラツクの運転手の田中としては予見し得ることであるから、同人としては駐車する場合は倉庫の入口から遠くなり少しは荷役作業が不便であつても線路との間に余裕ある場所を選ぶか、又は本件事故現場に駐車するとしても路面が線路側に傾斜しているのであるから、横への滑走を防止するのに十分な措置をとり事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるというべきである。しかるにこれを怠り、前記のように漫然駐車したものであるから同人には本件事故発生に付過失があつたものというべきである。

(二)  田中信光が被告会社の雇傭する運転手であり、事故当時被告会社の業務執行のため本件トラツクを運転していたことは原告と被告会社との間においては争いがない。とすると、被告会社は同人の使用者として本件事故につき賠償の責に任ずべきである。

2  被告国鉄

次に引込線で貨車の入替をする際には、第一次的に転てつ手が線路の安全を確認する義務があるとされている上、本件現場附近は見通しが悪く、しかも本件事故発生当時貨車は後進して前頭誘導の方法によつて入替作業が行われていたことは前記二に認定のとおりであるから、これらの条件をあわせ考えると、本件においては転てつ手の合図によつて貨車を進行せざるを得なかつたものと認められる。

ところで、前記認定の路面の勾配、凍結状況、貨車の通過による路面の震動などの状況、更に本件現場附近には防護柵がないこと(右の欠缺が本件事故の一因をなしていることは否めない。)の諸条件を考慮に入れるならば、転てつ手としてはたとえ接触限界確認をしたうえ一応安全を確認したとしてもそれのみでは十分でなく、本件トラツクが線路側に滑走して来て貨車と接触し附近の作業員に危害が及ぶ虞があることはこれを予見することが可能であり、したがつて転てつ手石山栄一としては、当然本件トラツクの位置を変えるように命じ、それ迄貨車の進行をとめる措置をとり、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるというべきである。しかるに前記認定の事実によれば、同人は本件トラツクの駐車位置について幾分危険であると感じながら接触限界確認をしたのみで貨車を通しても安全であると軽信し、現場に居た者にただ注意を与えたにとゞまり、四囲の状況の安全確認を怠つたのであるから、被告国鉄の従業員たる石山栄一には本件事故発生につき過失があつたものというべきである。

右石山が本件事故当時被告国鉄の業務執行のため貨車入替作業に従事していたことは前示のところから明らかであり、したがつて被告国鉄は石山栄一の使用者として本件事故につき損害を賠償する責任がある。

3  そうして右の田中信光及び石山栄一の過失は民法七一九条の共同不法行為を構成するものと言うべく、したがつて同人らの使用者である被告らは連帯して原告らに対し損害を賠償すべき義務がある。

四、そこで原告らが本件事故によつて蒙つた損害について判断する。

(一)  被害者の逸失利益とその相続

1  原告フミの供述及び同供述により真正に成立したものと認められる甲七号証並びに弁論の全趣旨によると、石黒吉郎は事故当時小樽海陸運輸株式会社の常傭労務員として一三年間勤務し、港湾労務に従事していた者で、当時給与として一日平均一、九七七円の収入を得ており、一ケ月少なくとも平均二五日間稼働していたこと、同人は健康な満四四歳一〇ケ月(大正一一年三月一一日生)の男子であることが認められ、厚生大臣官房統計調査部作成第一一回生命表によると平均余命は二七・四九年であり、その間港湾荷役という労働態様から少くとも満六〇歳に達する迄(昭和五六年三月一〇日)は稼働し得るものとみるのが相当である。又前記原告フミの供述によると石黒吉郎は当時同人方の世帯主であつて家族としては各原告ら及び原告フミの父親が居たことが認められ、前記認定の同人の職業、収入、家族構成等を考慮すると同人の生活費は一ケ月八、〇〇〇円とみるのが相当である。そうとすると同人は本件事故で死亡したことにより満四五歳(端数切り上げ)から満六〇歳に達するまでの一五年間の得べかりし利益を喪失したことによる損害を蒙つたことになり、前記収入から生活費を差し引いた年間純収入は四九七、一〇〇円〔(1,977円×25-8,000)×12〕であり、その一五年間の純収入を死亡時に一時に請求するものとして複式ホフマン式計算法に基づき年五分の割合によつて中間利息を控除して計算するとその現価は五、四五八、五五五円となる(497,100円×10,9808=5,458,555円。端数切捨て)したがつて吉郎は右額相当の得へかりし利益を失つたものとみとめられる。

2  そして原告フミが吉郎の妻であることは各当事者間に争いがなく、その余の原告が同人の子であることは原告らと被告会社間では争いがなく、被告国鉄との間においても右争いがない事実から右事実を認めることができる。従つて原告フミは生存配偶者として、三分の一に当る一、八一九、五一八円、その余の原告らはそれぞれ子として、九分の一に当る六〇六、五〇六円の右得べかりし利益を喪失したことによる損害賠償債権を相続したものと認める。

(二)  慰藉料

石黒吉郎死亡当時の家族構成は前記認定のとおりであり、〔証拠略〕によると、原告フミは吉郎と昭和二一年から結婚生活に入り、その間に五女一男を儲け、吉郎を中心に平和な家庭を営んでいたところ、本件事故により女手一人で子女を養育する必要に迫られ療養所のハウスキーパーとして稼働をはじめざるを得なくなつたこと、その余の各原告らも本件事故により父を失い、はかり知れない精神的苦痛を味つたことが認められる。

右事実によると原告らの右精神的苦痛を慰藉するには原告フミについては一〇〇万円、その余の各原告についてはそれぞれ五〇万円を支払うことをもつて相当とする。

(三)  保険金の控除

原告らが本件事故の自賠法による保険金として一五〇万円を受領したことは原告らの自認するところであり、弁論の全趣旨によれば相続分に応じて各原告の債権に充当されたものと認められ、前記の各原告の損害額から原告フミにつき相続分に応じ五〇万円、その余の原告につきそれぞれ一六六、六六七円づつを控除することとする。

五、結論

よつて、被告らは連帯して原告フミに対し二、三一九、五一八円、その余の原告らに対しそれぞれ九三九、八三九円及び本件事故の翌日である昭和四二年二月一〇日から完済まで右各金員に対する民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、右の限度で原告らの本訴請求を認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 広岡得一郎 丹宗朝子 糟谷邦彦)

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